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思うに、私が酒飲みなのは幼少時よりの食生活が多分なる影響を与えているような気がするのです。
実家が農家で、かつ祖父母と同居だったと言うこともあるのですが
食べるものといえば自家製の野菜やら煮物やら漬物やら
渋いメニューのオンパレード
一応、炒め物とか肉系もあったものの
そんなものばかり食べていたら、年寄り連中に笑われ揶揄される食卓で
それが悔しいというか、いちいち反応するのも面倒だったために
子供の頃から年寄り向けメニューを朝夕食すハメになり
結果、小学生にして、給食で酢の物を喜んでお代わりするような味覚に
「秋刀魚の開きを焼いた時に出来る、表面の固い膜みたいなやつ」なんてのを喜んで食す子供が、その後どう転ぶかなんて・・・

恐らくもっとも影響を与えたと思われる祖父が、酒嫌いというか、家族が酒を飲む事を著しく嫌っていたのは何の皮肉でしょうかね


閑話休題。(久し振りに使ったなぁ、この言葉)

遠藤周作の「イエスの生涯」読了。
弟子にすらその思いを理解されることは無く、祝福された誕生も、聖なる力もあろうはずもなく
皆に見捨てられ、惨めで屈辱的な死を迎えたイエス・キリスト
現世利益のみを求める民衆にひたすら「無償の愛」を説き続け
自分を見捨てた民衆を憐れみ、裏切った弟子たちを心配し、愚弄する兵士のために祈り続けて死んでいった、偉大なる聖者。

人々は彼に、ユダヤ人の王・ローマに対する反逆の旗頭となる事を望んだ
しかし彼はそれを拒んだ
故に彼は惨めな死を迎えた

そして彼は、本当に死ぬまで誰にも理解されなかったのです。
そんな彼を思うとき、どうしても思い出す言葉は

「だがな、殉教などという茨の道に、いったい誰が憧れる?焦がれるほどの夢を見る?
 聖者はな、たとえ民草を慰撫できたとしても、決して導くことなどできぬ。」
(「Fate/Zero」より、イスカンダル)

王者と、聖者と、民衆と

近く、その辺りのこと文章にまとめてみようかなぁ。
そのためには、セイバーさんの生き様を確認しておかないとね。
レアルタが楽しみ。
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