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本日の朝ごはん→
納豆ばかり食べているので、だんだん飽きてきた・・・
魚でも買って来ようかとも思うんですが、コストパフォーマンスを考えるとやっぱり納豆の優秀さには・・・

+ + + + + + + + + +
昨日の話の続きというか、補足と言うか。

最近の風潮の中で、笑ったというか、呆れてしまったのは
「萌えの定義」
という話。

言うに事欠いて、「定義」って・・・
もう、アホかと(ry
恐らく、「萌え」を市場として開拓する上で求められた動きだと思うのですが。
なんて言うか、「定義」なんてものを求めているようでは、「萌え」市場開拓なんて無理と言わざるを得ないと思います。

そもそも、「萌え」というのは感情とか情動の一種であって、言わば
「言葉では言い知れぬモノ」
それを無理に言葉で表現しようとしても、どだい無理な話で。
例えば、或るところに「怒り」の感情を生まれつき持たない人が居たとして、その人に「『怒り』とはどういうものか」を論理的に言葉で説明して、果たして理解してもらえるでしょうか?
「萌えを定義しよう」なんて、そのレベルの愚考だと思いますよ。

まぁ、最近では、その道の第一人者である漫画家の赤松健氏が「萌え」を定義して、それなりに的を射た「定義」がなされていたりしますが。

でも、こういうのは、見る側があらかじめ「萌え」を知っているからこそ、それと照らし合わせて「納得している」わけで。
そもそも「定義」なんてものを求めてる人たちは、「萌え」が何だか分からないからこそ、その説明を欲しているのでしょうから・・・

はっきり言ってこんなものの「定義」なんて、無駄というか、愚の骨頂としか言いようがないと思うのですが。せいぜい、「萌えを知る側」がネタにして楽しむくらいしか、こんなものの利用価値なんて無いんじゃないかと。

大体、(私が「萌え」であると理解している、ある種の感情について語るなら)
「萌え」なんて、なにもそんな小難しい、特殊な概念でもないと思うのですがね。
例えば、猫を見て可愛いと思うだとか、美人さんを見て心惹かれるだとか、
そういう、一般的に「当たり前のこと」として認知されている事象の、その対象がたまたま「二次元」に向いているというか、そういうものに特に食指が動かされている、というだけの話ではないかと。

まぁ、理解できない人がどうしても理解したいというのなら、グダグダ言葉尻を追うよりも、実際に体験してみるほうがよっぽど早いと思いますよ。
というか、実際に自分で「感じて」みない事には、「理解」は不可能でしょう。

ギャルゲーでもやりまくってみるなり、ぶっ倒れるまでアニメ漬けにでもなってみるなりして・・・

「ああ、これが『萌え』か」みたいな。
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